
普段、私たちの思考や言動、生活パターンは、ほとんど無意識に行われています。
潜在意識には、これまで見たこと・聞いたこと・感じたことが記憶され、それが元となって人生に影響を与えているのです。
自分の中では長年それが当たり前だと思っていたことを、友達に「それおかしいよ!」「変わってるね」なんて言われて驚くこと、ありますよね。

(心の声)え!?おかしいのそっちじゃない?
物事に対する『善・悪』や、『幸・不幸』の基準が人それぞれ違うというのは、今まで体験してきたことや育ってきた環境が違うからなのです。
そして人間関係のトラブルのほとんどが、『価値観の違い』と『勝手な思い込み』から生まれてると思うのです。
過去の記憶のフィルターを通して見ている
例えば、初対面なのに(この人苦手…)と思ってしまうのは、(過去に嫌いだったあの人となんか似てる!)という記憶が潜在意識にあって、そこを通して見ているから。
その過去の嫌いだったあの人とは全く違う人物なのに、(意地悪そう…)と勝手に決めつけてしまい、関係性が悪くなってしまったり。
ちなみに、私はやたら声が大きい人が苦手。
なんだか怒られているような気がして委縮してしまうのです。
それとは反対に、声の小さい人が苦手、イライラする、という方もいると思います。
それぞれの潜在意識に、声の大きさに関連したイヤ~な記憶がインプットされているからなのです。
「なぜ、〇〇なタイプが苦手なのか?」
「過去にどんな出来事があったのか?」
「そのとき、どういう感情が湧いたのか?」
なぜ苦手だと感じるのか、じっくりと掘り下げてみること。
恐れていた原因が判明すると、苦手意識がフッと軽くなります。
意見が合わないのは当たり前?
自分の中では「常識」だと思っていることを人から否定されたとき、怒りがこみ上げて口論になったり、悲しくなって本音が言えなくなり、心を閉ざしてしまうことがあります。
例えば、2020年4月から、親がしつけにあたって子供に体罰を加えることが法律で禁止されました。
私は、しつけに痛みを与える必要はないと考えていて、体罰禁止は当たり前のことだと思っていましたが、職場の年配の方たちは「体罰は必要だ」と言うのです。
内心ものすごいショックを受けましたが、冷静に話を聞くことにしました。
すると、その年配者は「体罰を受けて育ってきたからこそ、人の痛みがわかるようになった」、「体罰のおかげでまともに育つことができた」、と思い込んでいるのです。
本人たちにとって体罰は「善」であり、それぞれ育ってきた環境によって観念も異なるので、意見が相違するのは仕方のないことなのですね。
なので、他人の意見に対し「善悪のジャッジをしない」ことが大切だと感じました。

自分の「常識」を疑ってみる
だからと言って、「自分の信じている意見が絶対に正しい」と頑なに思い込んでいると、なぜか同じような内容のトラブルが何度も発生します(!)
どうしても心に引っかかる出来事や、やけに感情を揺さぶられる言葉がありませんか?
(自分にとっての「地雷」みたいなやつ)
これを自分の中で解決しない限り、色んな他人を通して、嫌な思いを繰り返し味わうことになります。
なぜなら、これは「人生の課題」で、解決しなければ成長することができないから。
その場合は、「自分にとっての常識の反対を信じてみること」です。
「非常識」な人に歩み寄ってみるのです。
嫌ですよね、とても難しいですよね。
でもそれが出来たら固定観念が一つ消え、二度と同じ問題に悩まされることがなくなります。
コツは全身全霊その人になりきって、想像してみること。
- 思い込みの原因を掘り下げてみる
- 善悪のジャッジをしない
- 相手の立場になってみる
人間関係のトラブルはチャンス
苦手な人も、嫌な出来事も、じつは自分自身が勝手に創り上げているもの。
現実は「潜在意識(固定観念)を写す鏡」。
人間関係でトラブルが発生したときは、自分の固定観念を知るチャンスなのです。